入り口を入ると左が男湯、右が女湯になっています。今は資料館のため脱衣場の仕切りが取り外されていますので、広い空間になっています。
番台やコイン式のマッサージ器が片隅に置かれていますので、往時の雰囲気も少し残っています。個人的には、資料館が飲食禁止なので、残念なのですが、脱衣所で瓶入りのコーヒー牛乳が飲めればいいな〜
入り口を入ってすぐにあるのが番台です。番台は入浴料を徴収するところですが、男湯と女湯の双方が監視できる場所に作ってあります。番台の前の脱衣所には、男湯と女湯の仕切りがありますので、双方からは見えません、甚風呂では仕切りは取り外しており、広い空間になっています。番台に座って記念撮影をする方が多く、特に男性には人気があります。
浴室は左右対称に、男湯と女湯に分かれています、甚風呂の浴槽は特徴があり立ち湯(立ったまま入浴する方式)の構造になっています。奥に見えるのが子供用の浴槽で浅くなっています。浴槽の縁には御影石が使われており、甚風呂を改修する際当時の店主が道後温泉に旅行に行った際に、御影石の浴槽が気に入りわざわざ瀬戸内から取り寄せて作ったといわれております。
男湯の壁面には、昭和30年代に放映された映画のポスターが掲示されています。湯浅町にはかつて、湯浅会館と旭座の2つの映画館があり、風呂場の脱衣場に映画のポスターが貼られていました。掲示されているポスターは甚風呂の改修工事の際、押入れの長持ちの中から見つかったものをクリーニングして掲示しております。
2本立て50円鑑賞料ですので、当時の物価が偲ばれます。
今は、合併してなくなってしまった、湯浅信用金庫の広告看板、左上のノブを回すと休みを表示できるようになっています。銭湯は、たくさんの人々が訪れるので、広告看板もたくさんありましたが現存している物はほとんどありません。看板は、女湯の壁面に取り付けられていますが、銭湯の営業当時は壁絵が描かれていたそうです。
甚風呂では、最初のころは、薪やおが屑でお湯を沸かしていましたので焚口が残っていますが、後年重油ボイラーに切り替わったので、焚口が改造されています。左の写真に、燃料タンクと循環ろ過器が写っています。焚口の周囲は、防火のためレンガが使われています。
毎年10月18日に、顕国神社の秋祭りが行われます。各町内から、神輿を繰出しお渡りが執り行なわれます。この神輿は、伝建地区の北中町のものです。壁面には昔の祭りの古写真が展示されています。湯浅の祭りの特徴は、馬宿を設け、祭りで馬の早駆けが行われ、町中を馬が疾走する豪快な祭りでした。特に明治の頃には、中町の通りが広かった為、賞金を掛けた競馬も行われていたそうです。昨今は、馬を飼う家もなくなり、祭りに馬使われなくなりましたが、北浜町が馬でのお渡りを復活させています。
甚風呂正面の左右の塀の上に「トンガリ」と呼ばれる、六角錘の瓦飾りが載り、重厚な本瓦葺きの浴場と共に威風堂々とした外観を見せています。入母屋造妻入の浴場は、大正15年に一部改築修繕工事の許可願が出されており、その際に浴室の大規模な工事が行われています。大正時代の面影を残す、「トンガリ」甚風呂を訪れた際には入り口の左右の屋根をご覧になって下さい。