「御領分加子米高帳」と紀州沿岸の漁場

筆者考察:加子米高が示す紀州漁業の構造

加子米は、簡単に書いたら石高で税を取られたように漁獲高に応じた税金です。
下のシートの漁港の地名を見ているだけでも相当、僕は楽しいですね。
沿岸漁業の豊凶や漁獲高を把握するための行政記録であり、各浦の**漁場生産力**を示す重要な指標です。この加子米高の数値は、単なる米の収量を意味するのではなく、その背後にある漁場の豊かさ、漁労活動の規模、そして地域経済の活力を映し出しています。本稿では「御領分加子米高帳」に基づき、紀州沿岸の漁場が広範囲に及んでいたこと、特に**湯浅**と**広**がいかに突出した存在であったかを考察します。

まず、高帳の記録をたどると、その支配は紀伊半島の南北はもとより、**熊野灘沿岸**にまで及んでおり、紀州藩が広域的な海域資源を統括し、沿岸一帯を組織的な経済圏として捉えていたことがわかります。

次に、**湯浅(270.0石)**と**広(210.0石)**の数値が他浦を大きく引き離している点に注目します。三位の加田(加太)が151.3石であることからも、両浦の生産力が際立っていることは明らかです。これは、単なる湯浅湾一帯の**地形的・潮流的優位性**だけでなく、長年にわたる**高い漁労技術の蓄積**と、それを支える**地域社会の組織力**が背景にあります。網の構造や操法の工夫、漁師集団の連携体制など、技術と組織の両面で先進的であったことが推測されます。

こうした確かな技術的基盤と海洋に対する深い経験があったからこそ、湯浅や広の漁師たちは遠く関東の千葉や九州の長崎にまで出向き、**遠征漁**という新たな漁場を切り開くことができたのです。湯浅・広の加子米高は、地域漁獲量の多さを超えて、紀州沿岸漁業の中心地としての地位と、挑戦する人々の姿を物語る鍵であるといえます。

紀州沿岸の主要な漁場とその地理的位置

図:紀州沿岸漁場のイメージ(筆者作成)


上位10浦の加子米高グラフ

※ データは「御領分加子米高帳」に基づく(湯浅・広の突出が視覚化される)


御領分加子米高帳(各浦一覧)

浦名 加子米高(石)
大川20.4
加田151.3
磯脇10.7
本脇16.92
西庄68.4
松江86.2
西浜44.6
関戸52.0
雑賀崎15.5
塩屋26.4
宇須15.6
小雑賀96.0
毛見15.6
船尾12.0
日方91.3
名高29.2
島居17.2
藤代10.8
冷水15.6
塩津102.0
大崎33.8
下津32.4
21.6
北湊28.0
箕島70.0
田村16.7
栖原88.0
湯浅270.0
210.0
三尾川13.0
衣奈36.0
小引10.8
大引15.0
神谷5.4
吹井15.0
江駒10.2
網代20.0
横浜20.0
片杭3.0
小浦4.0
付野5.4
浦名 加子米高(石)
唐子18.0
比井15.0
産湯10.0
阿尾25.0
三尾20.0
和田12.0
吉原21.6
田井5.4
50.0
名屋15.4
南塩屋18.8
北塩屋17.0
印南124.0
南部13.2
芳養52.0
江川55.0
21.05
中村16.21
9.6
高瀬6.8
朝来帰17.2
日置52.8
周参見61.58
見老津25.4
江住25.2
里野浦18.3
和深24.4
田子9.0
江田9.0
田並25.2
有田36.0
串本21.6
上野33.6
出雲3.6
須江12.6
樫野6.0
大嶋20.4
西向9.0
古座94.2
下田原29.6
浦神17.0
浦名 加子米高(石)
粉白2.2
下里13.0
太地42.0
森浦4.8
天満10.5
那智勝浦40.35
宇久井1.5
三輪崎69.6
新宮5.5
鵜殿14.0
阿田和2.8
木本49.0
古泊40.8
二木嶋46.0
甫母6.6
須野4.0
梶賀6.36
曽根14.1
古江9.0
三木里16.9
三木浦6.6
盛松2.5
早田9.3
九木20.5
行野3.7
大曽根2.5
尾鷲組南林50.55
中井堀北52.15
天満1.0
水地0.6
小山3.0
引本23.0
矢口3.6
須賀利48.2
嶋勝浦30.0
白浦11.0
三浦10.5
海野1.9
長嶋70.9
27.0

紀州沿岸主要浦の加子米高分布図

※ マーカーの色とポップアップで加子米高(石)を示します。